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お歯黒は「ほかの色に染まらない」という愛の証明だった

化粧にまつわるヒストリー

「お歯黒」という愛の証明

 現代では受け入れられないものといえば、「お歯黒」もその代表格ではないだろうか。お歯黒とは、鉄を溶かした粉を、酢や酒、米のとぎ汁などと合わせて歯を染めるものだ。古墳時代ごろから確認されているが、当時は身分の高い人が口を小さく見せるために行っていたという。
 室町時代になると一般庶民にも普及したといわれているが、とくに盛んだったのは江戸時代ではないだろうか。女性は結婚するとお歯黒をして、さらに子どもが生まれると眉を剃るという風習があったそうだ。
 お歯黒には「ほかの色に染まらない」という、夫への愛を示す意味があり、眉を剃ることはセクシーに見せる効果があったといわれている。

 お歯黒や眉剃りは明治時代にも引き継がれたが、開国や文明開化によって外国人が増えてくると敬遠されるように。そんな影響もあって、明治3年には華族に禁止令が出たという。
 また、欧米化の波が押し寄せてくると、女性の化粧に対する意識にも変化が現れる。社会で働く女性の増加にともない、化粧がマナーのひとつとして女性に求められるようになったようだ。

 徐々に華やかなメイクが広がっていくかのように見えたが、第二次世界大戦が勃発すると、庶民は質素なスタイルを求められるようになる。何事にも自粛ムードが漂うなか、おしゃれをするというよりは、スキンケアを中心に化粧をたしなむことが多かったように見受けられる。

 戦後も、高度経済成長期にはつけまつげなどの派手なスタイルが支持されたが、現代ではナチュラルメイクや小顔、目力アップなどの化粧法が注目されるようになったのはご存知のとおり。このように、顔を彩るという行為自体は変わらないものの、時代によって目的が大きく異なるのは興味深い。
しかし、奈良時代以降の化粧といえば、どれも女性がより自分を魅力的に見せるために行われていたのではないだろうか。現代でも、「整形メイク」が注目されているように、いつの時代も女性は美しくありたいと願うものなのかもしれない。
 

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